2001年 9月29日 ニューヨーク MSG
統一世界ミドル級タイトルマッチ
     バーナード・ホプキンスvsフェリックス・トリニダード
【投稿】風神 【投稿日】 2001/10/1


あの悪夢の惨劇から18日間、未だ復興の灯りが見えないニューヨーク、マンハッタン。
実際、事故の現場を見て映像、雑誌等から感じる現実とのギャップは、私を唖然とさせた。五感を通して痛いほど感じるのだ。
漂うアスベスト、鼻を刺激する臭い、救助活動は延々と続く、あの瓦礫の下で6000人以上の人間が、今も眠っているという現実・・・・・
黄金の80年代を象徴するレナードvsハグラーから14年振りの、統一ミドル級タイトルマッチなのであるが、私は今回、心の底から楽しめない事は分かりきっていた。しかし観なければという使命感、そして自分の人生の中でボクシングの存在というものをを確認する為に、やはりニューヨーク行きのチケットを買ってしまったのだった。

現在、米国民の尊敬と賞賛を一心に集めているNYPD(警察)NYFD(消防署)、その圧倒的な支持を背負うかの様にトリニダードが警察帽を被って入場、これを被り得る人間は今のボクシング界で彼以外にいないであろう。
さあ、運命のゴングが鳴る・・・・・
ティトが独特の16ビートのリズムでプレッシャーをかける、しかしホプキンスも歴戦の強者、リードブローの差し合いでも引けを取らないどころか、パンチのまとめ方、的確性ではティトを上回っている。計量でリミットを3パウンド下回っていた
というホプキンス、過去最高の仕上がりだ。ロープに背を預けながら、ティトのパンチの打ち終わりに巧妙に硬い拳を合わせてくる、想像したより遥かにクリーンな試合、ティトの身体の切れがラウンド毎に失われていく、印象的なのはホプキンスの強固なブロッキング技術、ティトのパンチは眼で見切るディフェンスでは防ぎ切れない事は過去の対戦相手が証明しているからだ。
壮絶な10R、そして11R、ティト遂にダウンか、しかし判定はスリップ、がダメージは明らか、
そして迎えたファイナルラウンド、死刑執行人の会心の右フック炸裂、ティトが倒された! 今までの彼のダウンとは異質のダウンだ、よほど手応えがあったのかリングに寝転び喜びを表すホプキンス、セコンドのティトシニアが駆け寄る、
自動的に試合終了だ、あああぁ、私は目の前の現実を素直に受け入れられず、ただただ立ち尽くしていました

かつてシニアは言った 『ホプキンスを倒しミドルを統一後、168pdsでロイジョーンズに勝ち20代で引退させる、もう、それでやり残すことはないだろう』 しかし勝負の世界は非情である、ホプキンスだって今日の試合に命を賭けているのだ、ミドル級を13回防衛してもマスコミ、ファンの評価は上がらず(トレーナー間では高い評価を得ていたが)プライアーvsアルゲリョでのまさに敵役の再現、本当に素晴らしいパフォーマンスでした。

二週間の延期、この影響は? ホームタウン、フィラデルフィアが目と鼻の距離のホプキンスに比べ、愛するファミリーを祖国に残し不安と焦燥の中、試合調整を余儀なくされたトリニダード、しかも不倫報道までなされて、彼のメンタル面はどうだったのだろうか?
いかに超人的な肉体を持つ彼でもやはり生身の人間、感受性豊かな青年であるということに変わりはないのだ、もっともそんな言い訳をするボクサーでないことはファンの誰しもが知っている、だから悔しいのだ。

帰りのエスカレーターで、目に大粒の涙を浮かべていたプエルトリコの鉢巻きの少年が言った『きっと帰ってくるよね』
そうだとも!私もそう思った、あの人なつっこい笑顔でまたリングに戻ってくるさ、ニューヨークにね・・・・
過去の英雄達も一敗地に塗れたからこそ真のグレーテストになったのだ、デュラン、レナードしかり、アリだってそうだ。
ニューヨークは必ず復興する、フェリックス・トリニダードもジグソーパズルの最後の2ピースを探しに必ず戻ってくる。
そしてもう一度、あの少年の笑顔を取り戻す為に・・・・・
【管理人のコメント】
風神さん、いつも有難うございます。ティトのようなボクサーは敗れても、また応援したくなってしまいますね。ティト、もっともっと君のボクシングが観たいんだ!だからカムバックしてね。



Hall Of Fame Induction Weekend '01 体験記
     2001年6月7日〜10日 Canastota, NY
【投稿】風神 【投稿日】2001/6/16


物資が豊富でない時代に幼少期を過ごした私はお菓子の家に憧れたものです。なんたってその家は全てが お菓子で出来ていました。チョコレートの階段、ウェハースの屋根、ビスケットの壁、キャラメルの床・・・・・
まさにそこは少年の夢の世界が拡がっていたのです。
人間は年輪を重ね砂を噛む様な経験を重ねてくると、見えなくなるものがあるそうです。
『お菓子の家なんかに住めないぞ』 『そりゃ大人の作り話だよ』 『どうやってそんな家を建てるんだい?』

いつの頃だったか定かではないのですが聞いたことがあります、あれは夢だったのでしょうか・・・・・
世界中の名ボクサー、関係者の名誉、実績を讃え彼らを表彰する催しがあるという。あのTV映像の中の スーパースター達に逢える、 ニューヨークへ行きたいかっ? 行きたい、ヨシっ行こう! という訳で現代版お菓子の家、ボクシングの殿堂、果たして私はあの頃と同じときめきを抱けるのだろうか?
ほのかな想いを寄せていた少女と、同窓会で再会しなければ良かったという気持ちにならないだろうか?

ロサンゼルスからシカゴ経由でシラキュース空港へ、そこから車で30分 さあボクシングの殿堂に辿り着いた。
うーん、これは凄い!美術館全てがボクシングお宝の山だ、これからどういう4日間になるのだろう ?
誰か来たぞ、あっルーベン・オリバレスだ! ミスターK・Oと呼ばれた頃とはすっかり体型は変わってしまい 目の光も温和になっているが確かに彼だ。私はフラフラよろめきながら、ひとときのタイムマシンに乗るべく メキシコの伝説の英雄を囲む人の輪に加わって行ったのです・・・・・
オーピニングセレモニー後、残ったオリバレスとアルゲリョが対戦を振り返るという壇上でのトークリマッチが実現 『レフェリーがMrオリバレスを立ち上がらせようとしていたよ(笑) でも私は彼にボクシングを教わったんだ、
私は当時23歳、彼は・・・歳だった。34歳の私がプライアーに何故負けたか・・・意味がわかるかい?』
アルゲリョはいまだにプライアーには敵意剥き出しなのです。(ジョーク)
太陽が今まさに昇るかのようにオリバレスを倒した逆転の左アッパー、落日の太陽の如くプライアーに乱打され マットに崩れる彼・・・二人の話を最前列で聞きながら、そんな対照的な試合を思い出し涙をこらえていました。
憧れのニカラグゥアの貴公子に抱きしめられての記念撮影、震えました・・・この歳になって(笑) 二日目は遂にトリニダードとSrが親子で登場、LAから友人のあきらさんも合流、彼はティトがお目当てです。
会場は一転、興奮の度を高める、しかしファンのマナーの良さにはいつも驚かされます。
約1時間並び、やっとこさグラブにティトのサインをゲット!ふう危ない、私の後ろでカットされていました。
いやあ、これであきらさんもご満悦でしょう。 To Akira とまで書いてもらってるんですから。
スパダフォーラのワークアウトの後、一息ついていると私のお目当ての一人、アーロン・プライアー来場 誰かが叫ぶ 『It’s Hawk Time!』 私がアルゲリョのサイン入りグラブを差し出したのは言うまでも ありません。HBOがこの二人を並べインタビューを始めたのをじっと見つめていました。私はただただ両雄の 存在感に圧倒され、目の前の光景を目に焼き付けようと必至でした。ああ、時よ止まってくれ・・・・・
夜は隣町でレイラvsジャッキーの試合、名付けて『アリvsフレージャーW』 日本から神取忍が来ていました。
3日目はゴルフ・トーナメント、私たちは参加せずBBQ大会、コレクターのカードショー等を見学していました。
そして夜はクライマックス、全参加ボクサーと有志のファン約300人が正装で集い盛大な宴が催されたのです。
あの空間はとてもこの世のものとは思えませんでした・・・右を向いても左を見ても往年の名チャンピオン達、 そこは私が知らない不思議な世界、誰彼とも無くあちこちでボクシング談義に花を咲かせ、参加者全ての心が 一つになった様な気がしたのです。そして嬉しかったのは、過去の名ボクサー達が日本人ボクサーを鮮明に 記憶してくれていることです。オリバレスはカナザワを、ラモスはセキを、ラグナとブキャナンはスズキを、 オルチスはコサカ、チャンドラーに至ってはムラタと聞いた途端、懐かしそうに微笑み身を乗り出して 『そうか、私も今、フィラデルフィァでトレーナーをしているんだ、ムラタに宜しく伝えてくれ』 と・・・
あなたが今サインを書いてくれている、その右手から繰り出されるアッパーが大好きな英次郎を苦しめたんですよ
ちょっとボクサー特有の言語障害が残っていたのはショックでした。ああ ジョルティン・ジェフ・・・
シュガー・ラモスは英語が話せないのですが、私が発したセキという言葉を聞いて即、反応したのです。
『このアジア人は何言ってるんだ?』 ラモスJRに通訳までさせて、極東での試合を懐かしがってくれました。
右手で杖を突きながら、杖を持ち替え右手を差し出してくれたアンツォフェルモも忘れることが出来ません
会場はドン・キングが仕切り、9月のトリニダードvsホプキンス戦のプロモーションさながら。ティトのダイジェスト ビデオのKOシーンを観て、会場は感嘆の声に包まれる。やはり時代はプエルトリコの英雄に微笑むのか?

参加者は、ざっと思い出しただけで以下の様な顔ぶれ、垂涎もんです
80年代 レナード、プライアー、チャンドラー、スピンクス兄弟 
70年代 ブキャナン、ノートン、マシュー、ボブ・フォスター、アルゲリョ、オリバレス
60年代 シュガーラモス、イスマエル・ラグナ、グリフィス、オルチス、バッカス 
50年代 トーレス、フルマー、ギャビラン、バジリオ、
時代を掴み損ねたシェーバース、ジミー・エリス、ジョージ・シュバロ、ロン・ライル、アーニー・テレル
現役はトリニダード、スパダフォーラ、テリーノリス、クリスティ・マーチン
他はアンジェロ・ダンディ、ドン・キング、エマニュエル・スチュアート、ジョージ・ベントン、アーサー・マーカンテ
そして、あのルービン・ハリケーン・カーターまで・・・・・
とろけるような甘美な空間に身を委ねながら、いつしかBanquet Of Championsの夜は更けていきました。
現在、未来を考えず過去にドップリ浸かる、そんな夜があってもいいよね・・・・・

最終日はボクサーがオープンカーに乗って市内をパレードです。さながら村祭りの様相で、町を挙げて Hall Of Fame Weekend を盛り上げていました。朝食は町の消防署の中で食べました (笑)
そうです、ここはボクシングの聖地 Canastotaなのです。
翌朝の空港でアルゲリョに再会、あの衝撃的なロイヤル小林戦の話をしました。彼も小林を憶えている・・・
あっタイムマシンのパネルが2001年6月11日を示しています。どうやら無事に戻ってきた様です。
Hasta La Vista Alexis ! (See you again) 私はアルゲリョに別れの挨拶をしました
『でも、もう二度と逢えないかもしれないな』私にはわかっていたのです、振り向いたらダメだと思いました。

さあ、現実の世界に戻ろう、また明日から自分との戦いが始まるのだ。
私は鉛の様に重くなった身体をかろうじて支えながら、ニューヨーク・シラキュース空港のゲートを潜りました。
インターバルでコーナーに戻ったボクサーの様に、少しだけ冷静になった自分を感じながら・・・・・


IBO世界フェザー級王座決定戦
ナジーム・ハメドvsマルコ・アントニオ・バレラ
(2001年4月7日ラスベガス MGMグランドガーデン)
【投稿】 風神 【投稿日

2001/4/8


フェザー(羽根)の様に軽い筈のこの階級に世紀末、紳士の国、英国か ら突然現れた悪魔王子ことナジーム・ハメド。
そのキャリアの中で迎え た最大にして最強の敵マルコ・アントニオ・バレラ。
同国人モラレスが ピリッとしない今、126Pds以下で打倒ハメドの一番手なのは衆目 の一致するところです。

   私は生ハメドを観るのは初めてですが、正直な感想を言えば、よくこの ボクシングで今まで勝ってきたなあと・・・。
これをハメドの衰えと見る向きもありますが、それよりも今日はバレラ の巧さと勇気を讃えたいと思います。
かなりハメドを研究していた様です、右のリードパンチをほとんどもら っていない、右を外して左フック、外して左、このカウンターが効果的 でした。ロープに詰めても深追いしない、距離感、パンチの切れ、踏み 込みの速さ、とてもインテリジェンスに溢れた戦い方をしました。

ハメドは敵地ということもあり、序盤を制せられて精神的に追い込まれ たのではないでしょうか、相手のジャブが当たっただけであれだけの歓 声が上がる試合なんて初めてでしょう。
再戦で本当に真価が問われると 思います。
いやあ、入場シーンは素晴らしかったけど・・・ バレラは今夜の勝利でオリバレス、サンチェス、チャベスに続くメキシ コのスーパースターの仲間入りを果たしました。
彼が引退した後でも この勝利はボクシングファンの間で語り継がれていくことでしょう。 殿堂入りをも約束されたと思います。まさにバレラの人生を変えた試合 と言えるでしょう。

モラレスに不運な判定を持っていかれても腐らず、よくここまで這い上 がって来ました。感服いたします。

とにかく、メキシカンファイター好きの私にとって最高の夜になりました。


WBA/IBF世界スーパー・ウェルター級王座統一戦
フェリックス・トリニダード vs フェルナンド・バルガス
(2000年12月2日/ラスベガス マンダレイベイホテル )
【投稿】 風神 【投稿日

2000/12/4


今日の世界ボクシング界で考えられる最高に魅力のあるカード、Forces of Destructionと銘打たれKO決着は必至、最近の判定決着にやや食傷気味の私にとってこの試合はまさに至極のカードと相成ったわけです。
前日計量を視察に行かれたあきら氏から、ティトが154pdsを作れ ず再計量したと伺いバルガス仕上がりの良さも合わせて強調、氏も私同様、波乱の結末を予想していました。

初回、ティトのファーストタッチがあの閃光の左フック、バルガスの膝を笑わせ、そこに追い打ちあのタフなバルガスがなんと20秒で倒された・・すぐ起き上がるが再開3秒後に2度目のダウン、
ティトおそるベシ・・コーナーに登り勝利を確信しガッツポーズだ!
バルガスはなにがなんだかわからない、そらそうだ! 観てる私だってわからないのだから・・

おいおい$1500が1分で終わりかよっ、しかしバルガスの表情から闘争心は消えていない。
何とか持ちこたえたがコーナーを間違えるがダメージは明らかである。
早く回復してくれ! メキシカン好きでバルガス応援の私はとにかく祈るのみ、 気が付けば目の前1mにカサマヨールが、その前方にはケビンケリー・・どこなんだ ここは?

2Rもティトのパンチの斬れが印象的、まるで鋭利な鎌で草を刈っている様、この回もバルガス劣勢、3Rに入りバルガスのショートの右がクリーンヒット! すかさずホールドされる、どうやらバルガスの主武器である右を警戒している様、
ホールドを解くと同時に右拳を合わせる抜け目のないティト、キャリアを感じる瞬間だ、そしてこのラウンド、彼はローブローを放ち注意される・・
この一発がこの後、大きく試合を左右するプロローグになるとは・・
至福の4R、警戒されている右から入り左のリターンがカウンターになり、テイトを吹っ飛ばす、リングサイド、ミリオネャーの紳士、淑女を総立ちにさせるに値する一発、千載一遇のチャンスだ! 
しかし、またもやティトのローブローが・・うずくまるバルガス、何てことだ! ティトに減点1
ここで約2分間のインターバル、これがこの試合の一番のポイント、結果論だが、もしここで・・
お互いチューンナップし直して再開、ティトのダメージも回復するに十分過ぎる時間だ、バルガスはかなり防御感も戻ってきた、距離感も掴んできた様、ティトも慎重になる、
5Rもバルガスが主導権を取る、秘密兵器の右アッパーも繰り出しリズム感も出てきた。このまま行けば彼は若さとタフネスに勝るので肉弾戦、消耗戦になって後半逆転KOも ?という感を抱く、これは行けるぞ!
しかし、6Rからティトが攻撃パターンを見切ったかのようにプレッシャーを掛け始める、かなり左フック等を空転させてはいるのだが、かすったようなパンチでもダメージがあるのか? バルガスのペースが落ちる、もしや序盤のダメージか? 7R、ティトまたしてもローブローで減点1
8Rからはティトのペース、バルガスはパンチ後の引きが甘い、ハンドスピードも差は歴然、 9R槍のような右でバルガス窮地へ、何とか持ちこたえる・・
10R、今度は再三注意を受けていたバルガスがローブローで減点、これは痛い!倒さねばダメだ、
11R、バルガスの消耗が目に付く、がんばれ!。そして感動のファイナルラウンドへ
さあ12Rだ・・とうとう、食ってしまった左フック、崩れ落ちるバルガス、必死の思いで立ち上がるが
狙い澄ました左フックカウンターを浴びる・・ダメだ! が立ち上がる、化けもんか? こいつは・・
ここで無情にもプエルトリコの英雄の入魂の右ストレートが炸裂・・War is Over・・
おそらくこの試合はFight of the yearを受賞することでしょう。ティトはFighter of the yearとの2冠王もおおいに可能性ありです。

しかし凄い試合でした。両者の力量差は少なからず存在しますが顔からマットへ沈んだバルガスのがんばりがあったからこそ12000人のファンが感動を享受できたのです。ビバ!バルガス!
私は骨格で勝る彼がロープへティトを押し込むシーンをイメージしていたのですが、まったく出来ませんでした。そこは彼の見せ場でポジショ ンチェンジ、肘、肩をも巧みに使い相手を押さえ左右のパンチに効果的 な角度を付けて放つことが出来るのです。しかし今夜は絶えずプレッシャーを掛けられ続け一度たりともこのシーンは無かったのです。それが初回のダウンに起因するものかは想像の域を出ません がカウンター戦法を取らざるを得ませんでした。この展開は彼の本意ではなかったでしょう。
デラホーヤはFight Of Centuryでこういう試合をしたくてもできなかったのだとはあきら氏の見解、危険領域に踏み込みんでいたら今日のバルガスと同じ結果になっていたという・・
氏は非常にボクシングに精通し造詣が深く、と同時に熱い思いをも持っておられる紳士な方です。
ジミーレノンJrがあえて敗者バルガスをコールした瞬間、熱いものがこみ上げてくるのを押さえられませんでした。
今のこの瞬間を、そして 今日という日を私の生涯の思い出として覚えておこうと。
世紀末いうエポックメイキングな時に、このような感動を頂ける、そしてこの瞬間にこの場に立ち会えることが出来る喜び・・ありがとうボクシング、そしてこれからも・・

余談ですが、アンダーカードに出たウイリアム・ジョッピーと言葉を交わすことが出来ました。
『あなたはJAPANESEだろう? 今、TAKEHARAはどうしているんだい?・・』私は言葉が出ませんでした・・
ボクシングファンとして今まで海外で日本人としての誇りを感じた事は 皆無でしたが、本当に嬉しかったのです・・。
この心情、理解していただけるでしょうか?
竹原さん、ありがとう!あなたを破った勇者は次戦で全世界が注目する最強のボクサーと戦いますよ、時が流れても、ジョッピーはあなたを覚えていて日本人を見かける度に思い出すそうです。
あなたのおかげで私は初めて世界チャンピオンから声を掛けられましたよ。(笑)

ポーリー・アヤラvsジョニー・タピア
(2000年10月7日/ラスベガスMGMグランドガーデン)
【投稿】 ラスベガン 【投稿日

2000/10/13


さる10月7日(日本時間8日)、ラスベガスにてアヤラvsタピアを 見に行きました。
とにかく会場はものすごい盛り上がりを見せ、 得にタピアの方に熱狂的なファンが多かったように思いました。
 リングサイドにはケン・ノートンをはじめ、レナード、ハーンズ、 コレラス、ヘナロ、ツァ、リチャード・サンドバル、クリスティ・ マーティン、カルバハル、今度モズリーと戦うリオス(でしたっけ?) など、有名人が目白押し!

 さて試合の方ですが、1Rにタピアのコンビネーションブローで ぐらりときたアヤラでしたが、その後は一進一退。ただしポイント 的には細かいパンチを当てていたアヤラに流れて行ったようです。
 息つく暇も無く迎えた12R、最後の残り10秒からの両者 譲らぬパワーパンチの打ち合いに最高の歓声と興奮の中,幕を閉じ ました。試合直後はタピアの健闘がひかり、勝ったかとも思い ましたが、わずかなスキルと勝ちへの執念にまさったアヤラが 勝ちを収めました。

 その日の前座にロメロ(人気ありました)も登場していた のですが、僕は知らなかったのです。だから試合前に会場入りして いたロメロを間近で見て、「険しい表情だなぁ。なんでだろ。」と 思ったりもしたものですが、その理由は後でわかりました。
試合だったんですね。

 とにかくいい試合でした。国歌からあんなに盛り上がり、 リングサイドがたったの200ドルなんて、日本じゃ考えられません。
(ちなみにヘビー級は破格なようで、4年前のブルーノvsタイソン はミゲランヘル・ゴンサレス、カルバハル、リカルド・ロペスなどの カードがアンダーで組まれていたにしても2階席で600ドルでした)

ポーリー・アヤラvsジョニー・タピア
(2000年10月7日/ラスベガスMGMグランドガーデン)
【投稿】 風神 【投稿日

2000/10/9


1999年度、年間最高試合を獲得し『ボクシングの打撃戦を芸術の域 まで高めた』by風神 という試合。

発売日に安いチケットを買ったの ですがアンダーカードにエリック・モレル、ダニー・ロメロが登場する と聞きリングサイドを再購入したほど私にとって待ち焦がれた興行です。
今回はタピアサイドが積極的に仕掛けました。バンタム(118)ウェ イトを作れないため124Pdsを指定、当初10回戦からIBAタイ トルを賭け12回戦へ変更、前回同様ラスベガスでのリマッチ、選手入 場、紹介もタピアが後・・・。リベンジの舞台は整いました。
場内の声援は五分、ややタピアか、PaulieコールとJohnny コールがよく聞き分けられない。私はスポーツブックの賭けはタピア、 でも応援はアヤラという中途半端な立場、我ながらイヤな奴です。
クロスゲームになった時、ジャッジがタピアに流れる気がしたのです。
気が付けば、顔見せ的に6分でアンダーカードを消化したロメロがリン グ上に、レフェリーはスティール、リングサイドにシュガーレイ、ハー ンズ、ケンノートン、カーバハル、コラレス、そしてデビッドトゥア さあ内外に役者が揃った。
タピアが勝てばフェザーでビッグマッチ実現へ、アヤラはバンタムへ戻 るも適正ウェイトでない試合を受け、負けた反動で王座転落。 もしタピアが負ければ剣が峰、引退もあるか・・・なんて私は予想しておりました。

そんな私のこざかしい予想もモノともせず、初回から壮絶な打撃戦、まずアヤラがタピアの左の打ち終わりに効果的な右フック、主導権を握る。しかしタピアもサウスポーに有効な右ショートを出鼻に、さらに左 右のコンビネーションでアヤラが揺れる、クリンチは全く無い。
とにか く両者速い、今度はアヤラの左ストレートがヒット、どうなるんだ!
もう中盤である『Johnny box!』タピアのセコンドが叫ぶ、 タピアのショートレンジを持ってしてもアヤラと至近距離で打ち合う事 は得策ではないのか?少なくとも前半まではアヤラに打ち勝った辰吉が もし、このベガスのリングにいれば・・・・一瞬日本のヒーローがふと 脳裏をかすめる。
辰吉vsタピア み みたい・・・ 引っかけ気味のタピアの右がヒット、アヤラが手を着く、ダウンか? 辰吉がタピアに乗り移ったか? いや ゴングだ、ふぅ。
終盤に入りアヤラの手数、アグレッション、正確さが印象的だ。アヤラ はタピアの右のカウンターだけを警戒しているようにも見える。
しかし 危険エリアに踏み込んで行き打ち合う勇気、技術、そして4度世界を制 した波瀾万丈の男も真っ向から打ち合う、素晴らしい試合、特に最終R のラスト10秒、私は残念ながら表現する言葉を持ち合わせていません。

判定は3ー0でアヤラ、116ー112、115ー113、115ー1 13です。
タピアはかなり怒っていましたが、そもそもこのウェイトで は明確に勝たねば意味がないでしょう。難しいラウンドが多かったです が、私も115ー113アヤラです。
昨年度の試合の完成度にはやや、及びませんがこの二人の勇者は二作目 の芸術作品を作り上げたのです。超一流のボクシングはなんて美しいん だろう、ハズレチケットを握り締めながらそんな事を考えていました。

次はアヤラとオースティンの統一戦を実現させると休憩時間の立ち話で ボブ・アラムと話す機会があり私に約束してくれました。紳士的な人です。(デラホーヤの事、聞こうと思いましたが止めました)

とりあえず期待しましょう。


コスタヤ・ジュー vs フリオ・セサール・チャベス('00年7月29日) 【投稿】 風神 【投稿日

2000/7/30


どうしようもない時の流れと、華やかな記憶の残像とのギャップ…。
最後のあの試合が無かったら…。ボクシングの歴史を振り返ってみると、幾多の名チャンピオンがこの過ちを繰り返す。俗に言う晩節を汚すと言うヤツである。
さて、メキシコが生んだ現代の英雄チャベス、最後の試合はどうだったのか? 意味があったのか? Phoenixは飛んだのか?

現役生活20年、4度世界王座獲得、3階級制覇、WBC Jウエルター級2度獲得、16度防衛。
WBA,WBCライト級2度防衛。WBC Jライト級9度防衛。
世界戦27連勝(従来の記録がジョールイスの26)世界戦34回、通算103勝4敗2分(86KO)(プログラムより)

場内の応援は99%チャベス、Aゴンザレスが倒されまさにジュー憎しという感じか?なにしろプログラムを買うとメキシコ国旗が、おまけに付いてくるのだ。
あのジミー・レノンの声が聞こえない程の大歓声、これはスポーツなんていう爽やかなモンじゃあない。この選手紹介時の数分間で、私は既にレッドゾーンに突入してしまい、在りし日のランドール、テイラー、デラホーヤ、ウィテカー戦を反芻していたのです。
そしてゴング。ジャブが当たっただけで場内総立ち、なんて試合だ!
しかし私の採点は1R以外、ジューのフル。スピード差は歴然である。
ジューは絶えずインサイドからコンパクトに打ってくる。迎えた6R、プッシング(?)でチャベス減点、大ブーイングの後、強烈な右でダウン、即TKOかと思われたのですが、何と最後の残り火でチャベスラッシュ・・・果たせるかな、しかし大きなため息が会場を包むが早いか、 王者の逆襲に合いレフェリーが試合を止めました。
全員が敵という環境下、立派に戦い抜いたジューは素晴らしいチャンピオンです。

ジョージ・フォアマンはホリーフィールドと対戦して破れた42歳時、 『老いるということは恥ずかしいことではないんだよ』と語ったという。今夜は自分の幼い息子を連れて観戦しているアミーゴが目立った。普通のボクシングの試合ではあまり無い現象だ。
いつの間にか私も年を取ったのだろう、そんな親の気持ちが痛いほど解るのだ。おそらく彼等は、今夜のチャベスと自分が生きてきた歳月をダブらせ、そんな熱い思いを息子に伝承しようとしているのではないのだ ろうか?。
試合の勝敗を越えた男の生き様を、その空気を肌で感じて欲しかったのだ。きっとそうだ。マッチョならそう考えるに違いない。
この希代の英雄の最後の試合は、彼と共に生きたファンにとって共同の確認作業だったのだ。
この作業無くしてこれからどうやって生きて行けよう? つまり、この試合は意味があったのである。
Phoenixは飛んだのだ。

ロシア出身のこちらも又、波瀾万丈の人生を送っている男の凄まじい右をまともに受けた老雄は前のめりに倒れた。
過去に決別して、新たな人生に向かって踏み出すかの様に…
かくしてチャベスは、灼熱のフェニックスの地で伝説になった。

オスカー・デラ・ホーヤVSシェーン・モズリー('00年6月17日) 【投稿】 管理人 【投稿日

2000/7/02


私のとって初めての海外旅行だった。
アメリカ、ロサンゼルスとはどんな所だろうか?期待と不安が入り混じっていた。
そんな不安は到着後は一気に解消。
試合前日、畑山隆則がロスに滞在時、使用したホテルの前の飲み屋さんで、前夜際を開く。
畑山選手はここでお茶漬けなどを注文していたと店員さんは話す。 ボクシング談義で盛り上がり、試合までの間気持ちを盛り上げる。
試合当日、好勝負の期待を胸に試合会場に着く。
普段はコンサートやバスケットボールの会場に使用されるという ステープルズセンターは、前日とはうってかわってものすごい人だかりができている。
まずはデェエゴ・コラレスのIBA世界Jrライト級戦。
相手はジャスティン・ジューコ。以前メイウェザー・Jrに負けた選手だ。コラレス 早い回に強打を決めてダウンを奪うもジューコの反撃をまともに食い少しヒヤヒヤする展開。
それにしてもこの日のジューコはメイウェザー戦の時とはまるで別人のように頑張るなあ。
途中、突然会場が大声援に包まれる。モハメド・アリ登場だ。ものすごい"アーリ、アーリ" の大合唱。他のセレブリティへの声援とはレベルが違う。それほどアリはヒーローなんだなあ と実感。これはアメリカに来ないと実感できないに違いない。
10R、コラレスの右が決まりジューコとうとうダウン。レフリーは試合をストップ。

次はバタービーンの登場。バタービーンが姿を見せると会場は声援で活気づく。 かなりの人気者だ。試合は2RでバタービーンのKO勝ち。相手はキャリア2戦目のボクサーだった。

次はエリック・モラレスのフェザー級転向第一戦。
後で教えてもらったのだが会場にはナジーム・ハメドも来ていたらしい。
会場のオーロラビジョンにハメドが映った時、会場はすごいブーイングだったようだ。
モラレスは相変わらずクールだなあ。
1Rにカウンターの右ストレートを決めダウンを奪う。こりゃあ強い。ストレートが伸びるのなんの。
2Rも右ストレートからの左アッパーで前のめりのダウンを奪う。相手も頑張るいい選手だと 思ったけどレベルが違うなあ。
3R、右ストレートを直撃させるとまた前のめりにダウン。あっさり片付けてしまった。
会場には多くのセレブリティが来ているらしく次々と紹介され、そのたびに大声援。

ただ私には知らない人が多い。
分かったのは、ダリウス・ミハエルゾウスキー、シュガー・レイ・レナード、モハメド・アリくらいだった。
また雰囲気が日本と違うなあ。
観客は正装の人が多いように感じた。思った以上に品が良いのである。
しかもフランクに話し掛けてくる。私は英語がわからないからとまどってしまうが。
とうとうメインエベント、デラ・ホーヤvsモズリー戦。
モズリーが姿を現すと会場は多少ブーイングが起こった。
モズリーはいつものスマイルでリングに上がるが多少緊張気味。少し心配だ。
続いてデラ・ホーヤの登場。赤いガウンを身にまとい、厳しい表情でリングに上がる。
いつもと同じだ。会場はデラ・ホーヤへのすごい声援で盛り上がる。
マイケル・バッファのリング・コール、"Let's get ready to rumble?"の掛け声を聞くと、旅行の疲れも一気に 吹き飛んだ。
両者ともカリフォルニア出身でそれぞれに声援があるが、やはり多いのはデラ・ホーヤへの声援。
さあ試合開始。
1R、お互いに立ちあがりから一歩も引く意思をみせず、打ち合いが始まる。
モズリーの気合の入り方が特に目を引く。デラ・ホーヤは前のコーリー戦と同じくガードを 固めてプレッシャーをかける作戦。
モズリーの気迫が体格差をあまり感じさせないのか?
6R、モズリー、スローダウンしたように見えた。デラ・ホーヤのプレッシャーでスタミナが切れたように 感じる。やばいデラ・ホーヤに捕まるのか?不安を感じる。
後半戦はモズリーの見事な復活とデラ・ホーヤのプレッシャーが交互に入れ替わる。
ややデラ・ホーヤがもたついているようだ。モズリーがところどころでサウスポーに スイッチしたのには驚いた。デラ・ホーヤはこのサウスポーの間、攻撃がもたついていた。
最終R、ラウンド開始前、観客は全員総立ちで打ち合いを期待。この観客総立ち(私ももちろん) には私は背筋がゾクゾクするほど興奮した。
そしてこの期待にデラ・ホーヤ、モズリーが応えてくれるのだからたまらない。
最高の打ち合いだった。モズリーの右ストレートにデラ・ホーヤがバランスを崩す。
そして試合終了。
私は採点をしていなかった。思いっきり雰囲気を楽しみたかったからだ。
ただ、試合終了直後モズリーよくやった、モズリーやった(勝った)か?、という気持ちが自然に沸き起こった。
そしてモズリーがスプリットの判定で勝者コールを受ける。
思わず私はガッツポーズをしていた。
アメリカでは試合を観客全員で盛り上げる。そしてその期待通りに最高の打ち合いを演じてくれた2人に 心から感謝した。試合の満足感に、結果なんかどうでもよかった。
そして試合がクリーンだったことがなにより気持ち良かった。
興奮冷めやらぬまま、会場の外に出ると何と試合が終わって着替えたディエゴ・コラレスの姿を 発見。コラレスにサインをもらい、一緒の写真を撮った。これは私の宝物になるだろう。
腫れあがった顔で気さくにファンのサインに応えるコラレスに私の好感度は一気にアップした。
これからも応援してるぞ、頑張れコラレス!。

満足感いっぱいでアメリカを後にした。

ヒルベルト・セラノ 対 畑山隆則
(WBA世界ライト級選手権 2000年6月11日 有明コロシアム)
【投稿】 平山 E-MAIL 【投稿日

2000/6/23


 なかなか会場で観戦する機会のない私だが、日本人がらみの世界ライト級選手権を生観戦するのは、ガッツ石松VS.ケン・ブキャナン、バサンVS.坂本博之戦に次いで3度目である.
今回は、畑山選手の実績とセラノの総合力から十分に勝機があると判断、歴史的瞬間を目撃できるとの期待から観戦を決めた.懸念されたのは畑山が王座転落から1年ぶりの実戦であること、しかも未知のライト級での挑戦ということであったが、畑山選手の若さとモチベーションからそれほどのハンデにならないと思われた.一方のセラノは左ブローに見るべきものはあるが、崔龍洙戦や坂本戦でも露呈したように、打たれ脆さに加えて、スタミナ難というあからさまな弱点があった.従って、畑山が致命的なダメージなしに、中盤以降に生き延びることができれば、チャンスはあるという予想が成り立った.

 さて試合は畑山が想像以上に好調なスタートを切った.とにかく、体全体に躍動感とスピードがあり、セラノは最初から後退一方であった.初回中盤、早くも畑山の右ストレートでセラノの腰が落ちて、赤コーナーに詰まる場面があった.しかし畑山も深追いはせず、セラノの反撃を最小限に食い止める.
第2ラウンドから第4ラウンドはセラノの多彩な左といきなり繰り出す右が有効で、ポイントこそ取られたものの、これは畑山の計算通りだったように思う.セラノの左攻撃に対する畑山のディフェンスには目を見張るものがあった.特にブロックするだけでなく、ダッキングやスウェーによってセラノの最大の武器である左アッパーを空振りさせていたのが目立った.空振りを繰り返すことでセラノのスタミナは予想以上に消耗したようで、4ラウンドには早くも口が開いてきた.しかし、畑山もセラノの軽い右ストレートをまともにもらう場面が多く、左目下の腫れが目立ってきた.セラノのスタミナ切れと畑山が顔面に受けたダメージの競争という感じになってきた.

 だが、第5ラウンドに入ると、畑山もセラノのスタミナ難を察知してか、思い切った攻撃を仕掛ける.まず、右に合わせて大きな左フックでぐらつかせた後、飛び込んで短い右アッパーを顎に一閃、これはタイミング、角度、切れとも抜群でセラノたまらず崩れ落ちる.懸念されたスタミナ難の始まったところに受けた一撃であったため、セラノのダメージは深い.足はすっかりガクガクとなり、パンチのスピードも威力もめっきり落ちてしまった.畑山が接近してくると、もはや回り込むこともままならず、クリンチするのが精一杯という状態.畑山もパンチの振りが大きくなり、なかなか有効打を決められないが、パンチが当たるたびにセラノは大きくのけ反り、ダメージは隠しようもない.

 どうにか第5ラウンドを生き延びたセラノ陣営は、第6ラウンド開始直後、ワセリンを故意に塗りたくって時間稼ぎを図るが、これは自らのダメージの深さを顕わにするだけだった.畑山の攻撃も雑で有効打は少なかったが、セラノのスタミナ切れとダメージは深刻、あとは畑山がいつセラノを倒すかが見せ場となった.

 第7ラウンド終盤、遂に畑山の右ストレートでセラノ2度目のダウン、もはや勝負は決定的となったが、セラノも試合を捨てない.第8ラウンド、大歓声の中、もはや何がヒットしても倒れるという状況でセラノが3度のダウンを喫し、スリー・ノックダウン・ルールによる畑山のKO勝利となった.ガルシア・レフェリーはラテン系米国人、王者に気を遣ってか、なかなか試合をストップしなかったのが、ちょっと気になった.試合の流れから見て、第8ラウンド最初もしくは2度目のダウンで試合を止めるべきだったように思う.

 ガッツ石松がヘススにWBCライト級王座を追われて以来(1976年5月)24年ぶりの日本人の世界ライト級王者の誕生である.奇しくも石松がロドルフォルフ・ゴンサレスを倒したのと同じ第8ラウンドでのKOであった.またスリー・ノックダウン・ルールの試合で、日本人挑戦者が実際に1ラウンド3度のダウンを奪っての戴冠は、大場政夫以来(1970年10月、対ベルクレック・チャルバンチャイ戦)30年ぶり2度目の快挙であった.また、リターンマッチを別にすれば、世界王座を陥落した日本の世界王者が、再起戦もはさまないで、いきなりの世界戦で王座返り咲きというのは、柴田国明(1974年2月、対リカルド・アルレドンド戦)以来2度目の成功であった.70年代にマッチメークされた同様のケースでガッツ石松や輪島功一は惨敗している.

 振り返ってみると、これほど戦前の勝利のシナリオ通りに進んだ世界戦も珍しいと言えるだろう.つまりは、畑山選手の地力がそれほど高かったということだろう.ただし、今後の防衛戦を考えると気になった点もある.特にセラノの右ストレートをやや無造作に受けていたのは不安材料である.思えば、畑山は崔龍洙やラクバ・シンの右に対する防御に問題があり、特にシン戦で致命傷を負ったのは記憶に新しい.初防衛戦は坂本博之となることが確定的らしいが、これは数ある日本人対決の世界戦でも最高の盛り上がりが期待される.畑山が長期政権を目ざすためにも最大の関門の一つになりそうである.

 とにかく素晴らしい試合を見せていただいて大いに感謝している.おめでとう畑山選手.

オスカー・デラ・ホーヤVSシェーン・モズリー('00年6月17日) 【投稿】 風神 【投稿日

2000/6/19


現代のシュガーが伝説を作りました。NBAファイナル、レイカーズ 王手で盛り上がる、ロサンゼルス・ステープルセンター。
お互いが違う道でそれぞれの頂点を極め、16年振りに二人が育った当 地で再会、雌雄を決するという、誰が名付けた?まさにそれはDest iny。
しかし試合内容、試合後の両者のインタビューはあくまで、スポーツラ イクで紳士的、どろどろした因縁とは全く無縁な二人でした。
そこには清々しさと同時に物足りなさをも若干感じました。
判定はスピリットデシジョンでしたが、内容的にはモズリーの魅力がふ んだんに披露された試合で、一方デラホーヤは基本的にコリー戦と同じ スタイルで臨みました。彼は戦歴の中で何度か窮地に立っていますが、 ここまで打たれ翻弄された試合は記憶にありません。彼に最短距離を打 ち抜く強い右があればサウスポーにスイッチしたモズレーにも対応出来 たでのでしょうが。特筆すべきはモズリーの防御技術です、接近戦での 巧みなヘッドスリップ、バックステップの速さ、デラホーヤのベストパ ンチにも耐えた理由は打たれ強さだけではないでしょう。
体格面でデラホーヤ有利という戦前予想も空しく、私にはハンドスピードに勝るモズリーの右が、黄金の左との差し合いを制したと映りました。
ボクシングで破れたのです。
ティト戦での敗戦とは意味合いが違うのです。
デラホーヤファンの私には辛い夜になりましたが、モズリーの勇気にも 潔く敬意を表したいと思います。その証拠に彼の入場時は大ブーイング でしたが勝利者コールを告げられた後、一転モズリーへの大声援が会場 を支配しました。彼のファイトは2万人の心を揺さぶる素晴らしいもの であったことは間違いありません。
試合後は圧倒的にモズリーTシャツ が売れていました。まあ私もその現象を創りだした一人なのですが… 二人が望む様に、再戦は必至だと思われます。
帰宅途中、アンダーカードで出場したチコ・コラレスが会場前でファンに丁寧に応対し、サインや記念撮影をしていました。試合でパンチを浴 びた顔は痛々しく大きく晴れ上がり、さぞかし辛かったことでしょう。 人の波は途絶えることもなく延々と続き、彼も嫌がったり急ぐ素振りさ え見せない姿に私は感動してしまいました。
チコに限らず米プロスポー ツ選手に共通するのはファンを大切にすることです。
しかしこれは言うほど簡単ではありません。
『チコ、今日はお疲れさま。次はメイウェザーを倒してくれよ!』
『OK、勿論だよ。ありがとう!』
こんなやり取りでした。
実は私、彼の試合を観て評価を下げたのですが、この件で一転急上昇、 心の中で激戦Sフェザーの主役に躍り出ました。
ファン心理なんて単純 なもんです。 同じくアンダーカードのモラレス戦の最中、ハメドがオーロラビジョン に映し出され大ブーイング・・
うーん新世紀のボクシングはロサンゼルスが熱くなりそうだ!

記念すべき投稿一番乗りは、「タフネス戸高」さんです!!。ここの投稿は、掲示板と違い、どれだけたまっても削除されることはありませんのでドシドシお寄せ下さい!
我が日本が誇る世界王者、戸高、見事にやってくれましたね。強靭な精神力、タフネスは、頼もしい限りです。

戸高V.Sヨックタイシスオー 【投稿】 タフネス戸高 【投稿日

2000/4/24


これほど熱い日本人ボクサーは久しくいなかったのでは。最近の世界挑戦にはっきりいって諦めを感じていた私でしたが、
今日のファイトには正直身を乗り出してしまいました。
しかし、とにかくタフさが素晴らしい。後は不用意にジャブをもらわないようにしていけば、長期政権も夢ではない。
好ゲームをありがとう。


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